金津城溝江館跡 あわら市指定文化財【動画有】
福井県あわら市大溝にある金津城溝江館跡に行きました。
車は妙隆寺と書いてある看板の横に駐車しました。
金津城溝江館跡の前は地区の公民館があります。
金津城溝江館跡入口に案内板があります。こう書いてあります。
溝江氏は、南金津出身の開発領主で、溝江河内守景逸と、その子大炊助長逸は、朝倉義景に仕え、越前北部防衛の拠点として金津町のこの地に金津城を構え、たびたび加賀の一向一揆と戦い軍功があった。
天正元年(1573年)朝倉氏が織田信長に亡ぼされると、越前・加賀の一向一揆は勢いを盛り返し、翌年2月、その勢約2万が金津城に攻寄せた。長逸らはよくこれを防ぎ和議に入ったが遂に成らず、同月19日長逸は子長澄を脱出させて城に火をかけ、一族郎党と共に自刃した。影逸辞世の句
世の中の楽をも苦をも春の夜の短かき夢と今日見果てぬる
長逸の子長澄は信長・秀吉に仕え金津城を再興し浜坂の検地など検地奉行として活躍したが、関ヶ原の戦いの後また没落して彦根藩に仕えた。
金津城の館跡には、明治の中頃まで堀もあった。近くの妙隆寺は溝江公の菩提所で、その一族と富樫氏の墓所でもある。このお堂の床下には古井戸があって、落城の際一族が身を投じたと伝えられている。
あわら市教育委員会
案内板の両脇に木碑と石碑が建っています。
奥に建物があるので奥に進んで行きました。
お堂の右側に石碑があります。なんて書いてあるのか分からなかったですが、たぶん影逸辞世の句が書いてあると思いました。
お堂の左前には1本だけポツリと松の木が立っていました。
お堂の中を覗くとたくさんのお墓があって驚きました。このお堂の下には古井戸がある様です。案内板に書いてありました。
お堂の後ろにはお堂に入らない大きめのお墓がありました。
これで撮影した映像は終わりとなります。最後まで閲覧頂き有難うございました。
福井県民でもあまり知らない、知られていないローカルスポット、福井県の穴場観光地を紹介しました。
↓↓金津城溝江館跡の場所です↓↓